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触龙说赵太后-17
今媪尊长安君之位,而封之以膏腴之地,多予之重器,而不及今令有功于国,—旦山陵崩,长安君何以自托于赵?
触龍(しょくりゅう)趙太后(ちょうたいこう)に説(と)く-17
今(いま)、媼(おうな)、長安君(ちょうあんくん)之(の)位(くらひ)を尊(たっと)びて、以(もっ)て膏腴(こうゆ)之(の)地(ち)を封(ほう)じ、之(これ)に多(ほほ)く重器(じゅうき)を予(あた)ふ。而(しか)れども、今(いま)国(くに)に功(いさお)有(あ)ら令(し)むるに及(およ)ばざらん。一旦(いったん)山陵(さんりょう)が崩(くづ)るれば、長安君(ちょうあんくん)は何(なに)を以(もっ)て自(みづか)ら趙(ちょう)に託(たく)す。